
※夏目漱石著・「こころ」のネタバレがあります。
山田風太郎著・「人間臨終図鑑」という本がある。(徳間文庫)
これを読んでいるとけっこうな人数が喀血(しかも大喀血である)で死んでいる。
血を吐いて、吐いて、死に至る、
という死に方は、なんだか、すごく、
「私はじきに死ぬのだ」と、まざまざと感じ得るのではないだろうか。
本来体を静かにめぐる血脈を離れ、
咳をしたてのひらに紅くたれるのをみて、
すごく「死」というものを実感するのではないだろうか。
「死」の、生得的に疎むべき、「けがれ」みたいなものを
まじまじととその眼で見るのだ
ほとんどの喀血者が病持ちであるから
彼らは
人の寄りつかなくなる病床で
病と共に
じわじわと
腐るように
死に向かうのだ
夏目漱石はある夕刻、寝返りをうってすぐに吐血したと思っていたが、
後に妻からそれには30分程度間があったのだと聞かされたという。
つまりその間は「死んでいらしった」のだ。
そうして漱石は自身の「死」を垣間見たはずだ。
喀血ではないが、ご存知「こころ」で主人公の友人Kは首を掻っ切って自殺している。
主人公曰く、「襖に迸っている血潮を始めて見たのです」とある。
その情景
病人のしろい手のひらの血だまり
薄く白む襖にかかるあか
その鮮烈な対比
死の衝撃
生の躍動
くびなんかつるな死刑囚じゃあるまいに

しばしばかみさまという存在について考えることがあるんですが
立体に例えて考えると
人間は多面体で
かみさまなるものは平面、
それも果てしなく続く平面なんではないか
人間は平面であるような考え方もあるが、
(裏表のある、なんて表現もあるし)
そんな単純なものでは決してないはずだ
絶対二面以上あるじゃないとおかしいこんなに生きにくいのは
宇宙=かみさまなんて考えもある
宇宙は視覚的には真っ黒な平面だ
一面だ
絶対的な
ひとつの面だ
ということを有識者に伺ったところ
だとしたら
三次元の断面は二次元的「平面」
ということは
あらゆる立体に「かみ」はひそむ・・・ともいえる
とのノリのいい考えをいただいたことがある
こういったうわ言の対話が出来るととてもうれしい

ゲームのなにが楽しいっていうと
もう問題と目的が決まっていることだ
自分が何者であるかが決まっていることだ
△△として○○を倒すと必ず何かが手に入る
△△として○○を探して集めると必ず何かが手に入る
△△として○○を時間内にクリアすると必ず何かが手に入る
既に問題と目的が与えられ
それをこなせば結果が必ず得られることが解かっている
自分が何者であるか
自分は何をするべきか
その結果何が得られるか
全て理解した上で生きられるのだ
問題と目的を知っていればあとは方法論だ
なんでも試せばいいし何回だってやり直す
だってちゃんと結果と成果があるって解ってるから!
さて現実()はそれまでが難しくってさぁ
俺は勇者で、世界を救うんだって、そんでモッテモテになるんだって、
「ゲームみたいに」誰かに(それこそかみさまみたいななにかに!)
言ってもらえれば自覚できるのに!
錯覚だってかまわないじゃないか!
俺の問題ってなんだ!?
何を目的として生きればいい!?
俺ってなんなの!?
自覚するために
何者にかになるために
どうするのか。
それが難しくってさぁ
まぁ自覚したとたん自身がただの村人Aだったって場合は十分にあるよ



